刺激がないと生きていけない

現在回っている部署は、ルーティーンが延々と続くイージーモードと、微細な調整が要求され判断を間違うとすぐ危機的な状況になるハードモードにきれいに分かれていて、わたしのような新人にはイージーモードしか任されない。とはいえ単なる雑用係として利用されているというわけではなく、イージーモードをひたすら担当することで、スルーしてもかまわない標準からのずれと、精査が必要なものを見分けられる目が育つということがある。ある意味、わたしのような非専門家にはそれこそが重要だともいえる。

役に立つのは理解しているとはいえ、単調なのは間違いない。どうもわたしの脳には、母親や奥さんが食べ物を調達してくれないと飢えてしまう昔の男のようなところがあって、刺激を外部から供給してもらえないと、元気をなくしてしまう傾向がある。同僚は優しく、仕事量は多くなく、端からみて比較的ホワイトな職場であるのにうつうつとしていた。

漢方薬*1を再開して2~3週間たったところで、ようやく精神的に立ち上がってきて、自分で自分に刺激を供給して楽しむだけのエネルギーが出てきた。問題なのが精神的な症状は週単位でゆっくりと落ち込んでくるので、自覚が難しいところなのである。何もかも意味のない、続ける価値のないことに思えて、薬を飲むことですら、なかなか持続が難しい。

体調を記録するアプリかなんか使って、ログをとるとよいのかもしれない。(いや、むしろじぶんで作るといいのか?)

*1:加味逍遙散。月経周期に伴う精神症状には特によく効く薬。

なにはともあれ書いてみること

昨年度は充実していたけれど忙しくて、業務や自己研鑽に直接関係ないことを書き記す時間がなかった。それはそれで後悔はしていない。時間は限られているのだから、精一杯インプットしている時に同時にアウトプットするのは難しい。

今年度はそれほど忙しくはなかったけれど、昨年度の緊張が解けなくて、なかなか自分の中に注意を向けられなかった。自分がなにを求めているか、探るには時間がかかる。効率的にはできない。

職業柄、なにかを相談する時にも、事前に十分な情報を集めた上で、決まった順序で話さないと叱られる。手短なプレゼンが求められる職場なのである。長くその中で過ごしていると、型を使って効率的に解にたどり着くことに慣れすぎて、寄り道を忘れてしまう。

そのせいで苦しくなっていた。

自分が世の中でなにか新しいものを作り出せるとすれば、それは寄り道の部分、一見すると無駄な部分にあるのだと思う。みんながやってることをより早く、精度高くやるのは、どこか虚しい。自分がいなくてもだれかやってくれるから。

自分探しだけでもどこにもたどり着けないけど、自分を殺してもだんだん辛くなっていく。忙しい中にも自分を取り戻す時間を持ちたいし、そうできるように将来を組み立てていきたい。